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キッスを語ろう!
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【ヘブンズ・オン・ファイアー】
アルバム:ANIMALIZE
     (邦題:アニマライズ) (16枚目)
リリース:9/13/1984

↓ミュージックビデオ↓
(マーク・セント・ジョンが出演している唯一のキッスのビデオ!)


「ヘブンズ・オン・ファイアー」がリリースされた頃はMTVが急成長を遂げていた時代!この曲のミュージックビデオもMTVのファンリクエストで常にトップに入り、キッス久々の大ヒットシングルとなったんだよ。ただ、この曲の制作はかなり波乱に満ちていた!まずジーンが音楽活動よりも映画俳優業を優先してハリウッドに行ってしまった(1984年公開の映画「ランナウエイ」)!不在のジーンにキッスとしての責任を感じたポールが初めてのプロデュース業に挑戦!そして、リードギタリストがヴィニー・ヴィンセント(2代目)からマーク・セント・ジョン(3代目)に交代!このマークが慣れない(!?)ギターの速弾きを繰り返したために、左手がリューマチ性関節炎にかかってしまい演奏が不可能になり、ちょっとホロ苦い脱退劇に発展!

ポール:「とにかくヒット曲が欲しかった。ジーンは映画俳優になると言ってハリウッドに行ってしまったし、マークという新しいギタリストも入ってきた。そんな中で俺は初めてのプロデューサーという大役をこなさなくてはいけなかったので、そのストレスと言ったら言葉にはできないほどだった。だからこそ、なんとかヒット曲を生み出して、キッスはまだ健在だということを証明する必要があった。

この曲を作るキーワードは「シンプル」だった。(友人のミュージシャンの)デスモンド・チャイルドと一緒に彼の家で作ったんだ。ちょっと『シンプルすぎないか?』と思った時もあったけど、今でも大好きな曲だね。」

マーク(リードギター):「僕はもともとキッスのファンではなかったし、彼らのレコードを聴いたこともなかった。僕のバックグランドはジャズとクラシック。当時はハリウッドのレコード店でギターを教えて生計を立てていたんだ。そんな僕がニューヨークでのキッスのギタリストのオーディションに参加することになった。オーディションには何の用意もしていなかったし、当時キッスがどんな音楽を演奏しているのかも知らなかった。オーディションではレッドツェッペリンの「天国への階段」をカントリー風なアレンジで演奏した。あとは彼らとはほとんど音楽の話をしただけ。しかし僕は不合格だった。だから飛行機でロスに帰るつもりだった。ところがロスに帰る日の朝、キッスから「また会いたい」という連絡が入り、二日酔いの体で彼らにもう一度会いに行ったら「合格だ」と言われたんだ。

ニューヨークでの「ヘブンズ・オン・ファイアー」のレコーディングの際、他のメンバーは誰もいなくて僕一人だった。ジーンは映画の撮影でハリウッドへ、ポールは(当時のガールフレンドの)女優リサ・ハートマンとバミューダでバカンス、(ドラマーの)エリック・カーはフロリダで休暇中だったからね。だからレコーディングでは自由に弾きたいように弾いたんだ。しかし、その後バカンスから帰ってきたポールから連絡が入り、「もう一度やり直しだ」と言われた。ポールがリズムギターを演奏して、僕はギターソロを弾いた。ポールが気に入るまで何度も何度も弾いた。フラストレーションがたまった作業だったけど、僕のギターソロをバンドのメンバーもファンも気に入ってくれて、曲もヒットしたからこれで良かったんだよね。」

マーク・セント・ジョンも何とかキッスのメンバーとしてアルバム制作の仕事を終え、アルバムも大ヒット。「さあ、これからワールドツアーへ突入!」という時に悲劇が!なんとマークの左手がリューマチ性関節炎にかかってしまいギターを弾くことができなくなってしまったのだ!

マーク:「僕のバックグランドはジャズやクラシック。キッスに入る前もバイオリン協奏曲とかを演奏していた。ところがキッスに入ったらただやみくもに速く演奏するだけ。僕はプロのギタリストだから言われたことなら何でも出来る。でも慣れない演奏以外にも、気候の変化(温暖なハリウッドからニューヨークに移転)やストレスなど、いろいろな原因が加わった結果、リューマチ性関節炎にかかってしまい、左手の指は全く動かなくなり、そのうえ左半身も麻痺してしまい、杖なしでは歩けないような状態になってしまった。

『ヘブンズ・オン・ファイアー』のミュージックビデオを撮影する時はすでに僕は入院していた。ビデオ撮影の朝、リムジンが病院に僕を迎えに来てくれて、そのまま撮影スタジオに直行。スタジオでスパンデックス(80年代に流行ったレオタードのようなピチピチの衣装)を着せられて12時間撮影をした。その後、またリムジンで病院に戻ったんだ。」

結局、マークはアルバム発売後のワールドツアーには参加することができなくなり、アルバム「アサイラム」の制作時にギターのヘルプで参加していたブルース・キューリックが代わりのツアーメンバーになったんだよ(その後、ブルースは第4代目のギタリストとして正式メンバーに)。

マーク:「キッスが世界ツアーを終えてアメリカツアーを始めたとき、数週間彼らと一緒にツアーを回ったんだ。もちろんギタープレーができる状態ではなかったから、毎日彼らのライブを見ていた。主にブルース・キューリックのギタープレーをね。そしたら、ある日ポールが「マーク、今夜は君がプレーしてくれ」と言ってきた。びっくりしたよ。だってそれまで僕は一度もキッスのメンバーとして人前で演奏したことがなかったし、演奏曲目、アレンジ、キーなど分からないことばかりだった。でも何とか演奏したよ。でもその晩、正式にキッスから脱退することになった。キッスにとっても僕にとってもそれがベストの選択だったんだよね。」

今から思うと、最後に一晩だけマークにキッスのメンバーとしてライブに立たせたのは、ポールの粋なはからいだったんだろうね。

(写真): アルバム「アサイラム」のアルバムジャケット
左からポール、マーク、ジーン、エリック・カ−(1991年死去)



(写真): マーク・セント・ジョン



(おまけ!): ジーン出演の映画「ランナウエイ」の予告編
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