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[ベス]
アルバム:DESTROYER
(邦題:地獄の軍団) (5枚目)
リリース:3/15/1976
↓「ベス」↓
↓ピーターがカラオケで一人だけで歌うライブ↓
キッスは今までに通算28枚のアルバムを発表しているけど、その中で最もヒットしたのが、この5枚目のアルバム「デストロイヤー」。全9曲どれもシングルカットされてもおかしくない名曲ばかり。その中でも当時キッス史上最大のシングルヒットとなったのが、ピーターが歌うこの「ベス」だったんだよ!
しかし、なんと皮肉にもジーンもポールもエースも、曲作りやレコーディングにはまったく関わっていないんだよ!
ピーター:「この曲のメロディーはニューヨークに向かう電車の中で浮かび上がった。その後、僕とスタン・ペンリッジ(友人のミュ−ジシャン)でメロディーを完成させたんだ。」
スタン・ペンリッジ:「この曲はもともとは『ベック』というタイトルだった。僕とピーターが『チェルシー』というバンドに在籍していた時に作ったんだ。当時、他のメンバーにマイク・ブランドというのがいたんだけど、その奥さんの名前が『ベッキー』でね。彼女は僕たちが練習やリハーサルをしている時に限って、しょっちゅう電話をかけてくるんだよ。電話をしてくる度に僕たちは演奏を一時中断しなくてはならず、そりゃ大変だった(笑)。そこからこの曲のアイデアが自然に生まれてきたんだ。『ベック、僕たちはまだ演奏中だよ。あとちょっとしたら家に帰るからね。』ってね!当時、この曲はアップテンポだったんだけど、(プロデューサーの)ボブ・エズリンがバラードに変えたんだ。」
ジーン:「俺は車で移動する時はいつもピーターと一緒の車に乗っていたんだけど(もう1台別の車にポールとエースが乗っていた)、ある日、車の中でピーターがこの歌を口ずさんだんだ。それを聴いたとたん、俺は夢中になったね!
ジーン:『ピーター、なんだその曲は?』
ピーター:『ベックっていう曲だよ』
ジーン:『なんじゃそりゃ!?ベックだと?ジェフ・ベックについて
の曲か!?』
ピーター:『いや違うよ、ベックっていう女の子についての歌だ
よ。』
ジーン:『そりゃあまぎわらしいから、ベックじゃなくてベスに変え
ろ。で、今すぐ(プロデューサーの)ボブに聴かせるんだ!
これはすごい名曲になるぞ!』
ピーター:「この曲のレコーディングの朝、スタジオに行ったらなんとニューヨーク交響楽団がタキシード姿で僕を待っていたよ。で、ジーンとポールがあぜんとした表情をしていた。僕は今でもあの二人のびっくりした顔を忘れることができないね!僕のボーカルのレコーディングのときは、ジーンとポールがガラス窓のむこう(コントロール室)で見ているのでとても気が散って、上手く歌えなかった。(プロデューサーの)ボブも同じことを感じていたんだね。それでボブはジーンとポールを家に返したんだ!その後、落ち着いてレコーディングをすることができた。5回目のテイクで見事決まったぜ!
本当はこの曲をコンサートでも生で演奏したかったんだ。でもビル・オーコイン(当時のマネージャー)が『この曲をコンサートで披露するにはオーケストラを全員呼ばなくてはならない。そんなの無理だから、演奏はテープで再生するしかない(つまりカラオケ)!』と言い出したんだ。いや〜、びっくりしたよ!『もし途中でテープが壊れたり再生がスローになったらどうしたらいいんだ!?』ってね。『僕もスローで歌わなくてはいけないのか!?』ってね。そのうえ、ドラムセットから離れて一人だけで大観衆の前で歌うのも、正直とても不安と恐怖心でいっぱいだったよ。でも、初めてコンサートで歌ってみたら、ファンの熱狂的な反応にびっくりしたよ!その後この曲は世界中で大ヒットさ!」
「ベス」を熱唱するピーター。


アルバム:DESTROYER
(邦題:地獄の軍団) (5枚目)
リリース:3/15/1976
↓「ベス」↓
↓ピーターがカラオケで一人だけで歌うライブ↓
キッスは今までに通算28枚のアルバムを発表しているけど、その中で最もヒットしたのが、この5枚目のアルバム「デストロイヤー」。全9曲どれもシングルカットされてもおかしくない名曲ばかり。その中でも当時キッス史上最大のシングルヒットとなったのが、ピーターが歌うこの「ベス」だったんだよ!
しかし、なんと皮肉にもジーンもポールもエースも、曲作りやレコーディングにはまったく関わっていないんだよ!
ピーター:「この曲のメロディーはニューヨークに向かう電車の中で浮かび上がった。その後、僕とスタン・ペンリッジ(友人のミュ−ジシャン)でメロディーを完成させたんだ。」
スタン・ペンリッジ:「この曲はもともとは『ベック』というタイトルだった。僕とピーターが『チェルシー』というバンドに在籍していた時に作ったんだ。当時、他のメンバーにマイク・ブランドというのがいたんだけど、その奥さんの名前が『ベッキー』でね。彼女は僕たちが練習やリハーサルをしている時に限って、しょっちゅう電話をかけてくるんだよ。電話をしてくる度に僕たちは演奏を一時中断しなくてはならず、そりゃ大変だった(笑)。そこからこの曲のアイデアが自然に生まれてきたんだ。『ベック、僕たちはまだ演奏中だよ。あとちょっとしたら家に帰るからね。』ってね!当時、この曲はアップテンポだったんだけど、(プロデューサーの)ボブ・エズリンがバラードに変えたんだ。」
ジーン:「俺は車で移動する時はいつもピーターと一緒の車に乗っていたんだけど(もう1台別の車にポールとエースが乗っていた)、ある日、車の中でピーターがこの歌を口ずさんだんだ。それを聴いたとたん、俺は夢中になったね!
ジーン:『ピーター、なんだその曲は?』
ピーター:『ベックっていう曲だよ』
ジーン:『なんじゃそりゃ!?ベックだと?ジェフ・ベックについて
の曲か!?』
ピーター:『いや違うよ、ベックっていう女の子についての歌だ
よ。』
ジーン:『そりゃあまぎわらしいから、ベックじゃなくてベスに変え
ろ。で、今すぐ(プロデューサーの)ボブに聴かせるんだ!
これはすごい名曲になるぞ!』
ピーター:「この曲のレコーディングの朝、スタジオに行ったらなんとニューヨーク交響楽団がタキシード姿で僕を待っていたよ。で、ジーンとポールがあぜんとした表情をしていた。僕は今でもあの二人のびっくりした顔を忘れることができないね!僕のボーカルのレコーディングのときは、ジーンとポールがガラス窓のむこう(コントロール室)で見ているのでとても気が散って、上手く歌えなかった。(プロデューサーの)ボブも同じことを感じていたんだね。それでボブはジーンとポールを家に返したんだ!その後、落ち着いてレコーディングをすることができた。5回目のテイクで見事決まったぜ!
本当はこの曲をコンサートでも生で演奏したかったんだ。でもビル・オーコイン(当時のマネージャー)が『この曲をコンサートで披露するにはオーケストラを全員呼ばなくてはならない。そんなの無理だから、演奏はテープで再生するしかない(つまりカラオケ)!』と言い出したんだ。いや〜、びっくりしたよ!『もし途中でテープが壊れたり再生がスローになったらどうしたらいいんだ!?』ってね。『僕もスローで歌わなくてはいけないのか!?』ってね。そのうえ、ドラムセットから離れて一人だけで大観衆の前で歌うのも、正直とても不安と恐怖心でいっぱいだったよ。でも、初めてコンサートで歌ってみたら、ファンの熱狂的な反応にびっくりしたよ!その後この曲は世界中で大ヒットさ!」
「ベス」を熱唱するピーター。
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[ラブ・ガン]
アルバム:LOVE GUN
(邦題:ラブ・ガン) (7枚目)
リリース:6/17/1977
↓ライブ↓
通算7枚目のアルバム「ラブ・ガン」。邦題で初めて「地獄の〜」がつかなくなった同アルバムで、キッス史上初めてタイトル曲がアルバム名に!
この曲がポールが今でも自画自賛する「ラブ・ガン」だよ!
ポール:「この曲はツアーで日本に向かう飛行機の中で作った。飛行機の中だったので楽器は持っていなかったけど、作詞作曲全てを頭の中で完成させた。日本に着いたら、あとはギターで一つの曲になっているかの「確認作業」をするだけでよかった。いつもそうだけど、素晴らしい曲が出来るときは、自分でもすぐに分かるものだ。俺にとってこの曲はキッスの中の曲でも5本の指に入るね。
この曲は自分でベースを弾いている。当時、俺はよく自分でデモテープを作っていた。だから、一つの曲を完成させるためには、「どんな部品が必要か」という事が明確に分かっていた。この曲を完成させるために、どんなパーツが必要で、どんなアレンジをすればよいか、明確なコンセプトがすでに出来ていた。だから、レコーディングの時もデモデープを持っていき、「この通りに作りたい」と指示するだけでよかった。その時、たまたま(ベース担当の)ジーンがいなかったのでベースを自分で弾いた。まあ、結果的にはそのぼうがよかったよね、だって自分のコンセプトに沿って、弾きたいように弾いたんだから!」
【おまけ:歌詞の日本語訳】→日本語で歌うとちょっと恥ずかしいね。
本気でおまえを愛しているんだ
その身体 たまらないぜ
二人で一緒にホットになろう
もう明日に延ばさないで 今夜決着をつけよう
おまえをイイ気分にさせてやる
逃げも隠れもできないぜ
おまえは俺のラブガンの引き金をひいてくれ
ラブガン 俺の愛の銃を発射してくれ
来日の際にゴジラと芸者さんと記念写真!

日本のファンの子たち!

アルバム:LOVE GUN
(邦題:ラブ・ガン) (7枚目)
リリース:6/17/1977
↓ライブ↓
通算7枚目のアルバム「ラブ・ガン」。邦題で初めて「地獄の〜」がつかなくなった同アルバムで、キッス史上初めてタイトル曲がアルバム名に!
この曲がポールが今でも自画自賛する「ラブ・ガン」だよ!
ポール:「この曲はツアーで日本に向かう飛行機の中で作った。飛行機の中だったので楽器は持っていなかったけど、作詞作曲全てを頭の中で完成させた。日本に着いたら、あとはギターで一つの曲になっているかの「確認作業」をするだけでよかった。いつもそうだけど、素晴らしい曲が出来るときは、自分でもすぐに分かるものだ。俺にとってこの曲はキッスの中の曲でも5本の指に入るね。
この曲は自分でベースを弾いている。当時、俺はよく自分でデモテープを作っていた。だから、一つの曲を完成させるためには、「どんな部品が必要か」という事が明確に分かっていた。この曲を完成させるために、どんなパーツが必要で、どんなアレンジをすればよいか、明確なコンセプトがすでに出来ていた。だから、レコーディングの時もデモデープを持っていき、「この通りに作りたい」と指示するだけでよかった。その時、たまたま(ベース担当の)ジーンがいなかったのでベースを自分で弾いた。まあ、結果的にはそのぼうがよかったよね、だって自分のコンセプトに沿って、弾きたいように弾いたんだから!」
【おまけ:歌詞の日本語訳】→日本語で歌うとちょっと恥ずかしいね。
本気でおまえを愛しているんだ
その身体 たまらないぜ
二人で一緒にホットになろう
もう明日に延ばさないで 今夜決着をつけよう
おまえをイイ気分にさせてやる
逃げも隠れもできないぜ
おまえは俺のラブガンの引き金をひいてくれ
ラブガン 俺の愛の銃を発射してくれ
来日の際にゴジラと芸者さんと記念写真!
日本のファンの子たち!
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